1975年、三重県伊勢市生まれ。伊勢高校を卒業後、天理大学国際文化学部ロシア学科に入学。卒業後は、ボウリング場などの娯楽施設企画運営会社「ラウンドワン」に入社するが、2001年に学生時代のアルバイトの縁で比例東海選出の国会議員の公設秘書に転身した。政治家を志したのは、2002年のサッカー日韓ワールドカップでお祭り騒ぎとなった東京の繁華街と、さまよい歩くホームレスの姿を同時に見て国の将来に不安を抱いたことがきっかけ。翌年の伊勢市議選に初出馬して初当選、市町村合併に伴う2005年の市議選にも当選し、無所属の1人会派で活動してきた。
2009年、就航直前に運航事業者が撤退して凍結状態となった中部国際空港と伊勢市を結ぶ海上航路整備事業の推進の是非を巡り、推進派の前市長が「民意を問う」と辞職。事業の計画当初から反対の立場を貫いてきた鈴木は、出直し市長選に無所属で立候補。事業撤退を訴えた。市長選では、鈴木が過去に秘書を務めた元国会議員も事業撤退を訴えて無所属で立候補し、三つどもえの展開に。海上航路整備事業が大きな論点となり、結果は事業への反対票を大きく集めた鈴木が前職を4716票差で破って当選。当時33歳の鈴木は、松阪市長に次いで東海地方で2番目に若い市長となった。
市長就任後、主張通りに海上航路整備事業から撤退を決定。市民病院の改築やいじめ対策、バリアフリー観光の推進、JR伊勢市駅前の再開発など、2013年の伊勢神宮の式年遷宮に向けた観光や福祉施設に力を入れてきた。また市長就任後に結婚し、2010年に長男が誕生すると3日間の育児休暇を取得して話題に。2011年の東日本大震災による福島第一原発事故直後には、脱原発を主張。浜岡原発の停止などを中部電力に要請した。三重県が一時検討していた震災がれきの受け入れにも反対の姿勢を明確に示していた。
現住所 | 伊勢市, 三重県, 日本 |
略歴 |
1975年 伊勢市に生まれる 1994年 三重県立伊勢高等学校卒業 1999年 天理大学国際文化学部ロシア学科卒業 1999年 株式会社ラウンドワン入社 2001年 株式会社ラウンドワン退社 2001年 衆議院議員公設秘書入所 2003年 衆議院議員公設秘書退所 2003年 伊勢市議会議員(一期)当選就任 2005年 伊勢市議会議員(二期)当選就任 2009年 伊勢市長選挙立候補のため失職 2009年 伊勢市長 当選就任 |
趣味 | 田んぼや畑, 銭湯でのんびり 読書、映画鑑賞 |